「なんだ、こりゃ?」
原住民の老人から奇妙なものを手渡されたバッシュは首をひねった。それは十センチ四方ほどの革の切れ端で、表面には絵文字のようなものが描かれている。
森を探索中に成り行きで助けた原住民が、その近辺を統括している族長の娘だったことから、バッシュはともに行動していたクルツたちのパックとともに宴に招かれていた。奇妙な革は、その席で礼の品として差し出されたものだ。
人間でありながらフェリシンのバッシュよりも小さな老人は、怪訝な顔をするバッシュに皺の集合体のような笑顔を見せ、手渡した革を指差しながら大げさな身振りとともに由来を語り始めた。
この革は、人間のものなのだという。
数百年前。森の奥で迷ったときに巨大な古代遺跡を発見したある族長が、その場所を示す地図を自らの背中に刺青として彫らせた。族長の死後、皮は剥がれて保管されていたが、部族間の争いや遺産相続での分配などの結果、細かい切れ端となって散り散りになってしまったらしい。
「こいつがねぇ……」
原住民にとっては種族の遺産とも言える革を焚火の明かりに透かしながら、バッシュは瓢箪で作られた長い煙管を咥えていた。彼の後ろでは、クルツたちが気味悪そうな顔でその様子を見ている。
しばらくそのまま難しい顔で革を眺めていたバッシュだったが、やがて不敵な笑顔となってクルツたちに振り返った。彼の顔をひとめ見た瞬間、クルツは強烈に嫌な予感が自分の胸の内に広がるのを感じていた。

ファンタジースキーさんに100のお題77、<破れた地図>です。
あとわずかで百話完遂だった100のお題ですが、中途半端に放置状態になっていたので、ぼちぼち書いていこうと思います。
今回のお題は<破れた地図>ということで、海賊もののお話などでよくある人皮の地図を使って書いてみました。
ラビリンスの舞台として熱帯の土地を選んだ理由はいろいろあるんですが、熱帯地方の原住民などの土俗的なものを取り入れたかったというのも少しあったかもしれません。本質をあまりよく知らないので引き合いに出すのがためらわれますが、一般的なブードゥーのイメージみたいな。
現状ではまだ街と迷宮だけで舞台設定としての熱帯をあまり生かしていませんが、本筋がひと段落したらメイルストロム周辺の原住民が登場するちょっと不気味なお話なども書いてみたいです。
百年にも及ぶ迷宮探検の歴史の中で、そこに挑む探検屋たちの装備も確実に進歩してきた。場当たりで粗末な探検用具に頼って綱渡り的に探索を行っていたのは昔の話。現在では迷宮探索専用に考え出された装備なども普及し、危険は大幅に少なくなっている。
特に、ここ十年の間に起こった進歩は飛躍的なものだ。そしてその進歩を与えた人物こそ、メイルストロムで最高の鍵師と噂されるフェリシンの探検屋、バッシュだった。
非合法なものも含めて危険と隣り合わせの仕事を数多くこなしてきた彼は、それらの現場で得てきた知識を迷宮探索に持ち込んだ。装備品を身体に固定するための装具や滑車を用いた昇降器具などは、全て彼によってもたらされたものである。
しかしその反面バッシュに対する周囲の評価には、格好付けだとか物好きという言葉が常に付随していた。革新的で風変わりなものが叩かれるというのは、何時の世でも変わらないのだろう。
「はっきり言うけどさ……あんた阿呆だろ?」
「お前、これに何年費やしたか知らねぇだろ? 絶対に大丈夫だって」
呆れた顔で見下ろすラシェルの横で、バッシュは腕組みして自信に満ちた笑みを浮かべている。
バッシュの腕には、不格好な球形をした兜のようなものが抱えられていた。その前面には硝子の丸い窓があり、背面からは布とゴムで作られた太い紐が長く延びている。
そして蜷局を巻いて重ねられた紐の先には、大きな手押しポンプが取り付けられていた。バッシュに言わせると、これは深い水中に長時間潜るための器具なのだという。兜を装着した者が水に入り、地上からポンプで空気を送るという仕組みだ。
「それじゃあ、記念すべき初の潜水を開始するぞ。おっさん、頼んだぜ」
そう言って兜を被ったバッシュに親指を立てて見せたのは、共同で器具の開発を成し遂げたという鍛冶職人だった。この男はバッシュと色々な意味で気が合うらしく、今までにも様々な器具の開発を手伝っている。
「よぉし、てめぇらしっかり押せよ! 行くぜ!」
バッシュの脅すような声で、鍛冶職人の弟子二人が交互にポンプを押し始めた。それがしっかりと動作して兜の中に空気が送り込まれているのを確認したバッシュは、運河の船着き場からゆっくりと水の中に入っていく。
「まったく、物好きな男だね」
ラシェルは微笑みながら呟き、その場を立ち去った。後になって彼女が聞いた話では、奇妙な潜水器具はしっかりと役目を果たしたらしい。だが、ポンプ操作に疲れた鍛冶職人の弟子たちが途中で逃げ出したため、バッシュは危うく溺れかけたのだという。
革新とは、常に危険と隣り合わせだ。

相も変わらず暑い午後。砂風亭の給仕であるジャッキーが同僚たちとともに仕事に入ると、店の片隅で一人飲んでいるクルツの姿があった。昼食には遅過ぎ、仕事帰りにちょいと一杯というには早い時間帯のため、酒場にはあまり客も居ない。
「どうしたの。独りでボケっと」
「あぁ、なんか改めて言うのもなんなんだけど、この街っていい所だよな」
ぼんやりと窓の外を眺めていたクルツは、少し眠た気な目をジャッキーに向ける。
「気候もいいし、食い物も美味いし、俺の故郷とはえらい違いだ。伝説の中に出てくる理想郷とかって、こういう場所のことを言うんじゃないかな」
「理想郷ねぇ。そう言えばうちのクソ親父も、あたしが餓鬼の頃よく話してたな。そういう話って何処にでもあるのかもね」
彼らの話を聞いていた他の給仕たちも、それに同意して頷いていた。理想郷や楽園などを語った伝説は、どこの国でも変わらず存在するものなのだろう。
「そう考えると、くだらない作り話じゃなくて、案外本当にあるのかもなぁ」
クルツはそう言って窓の外に視線を戻し、何処かに存在するかもしれない理想郷に思いを馳せているようだ。しかしジャッキーは、それを聞いて何やら難しい顔をしている。
「でもさ、やっぱり無いよ。きっと」
「え? なんでそんなこと分かるんだよ」
自信に満ちた口調で言ったジャッキーを振り返り、クルツは眉を歪めた。何故彼女がそこまで確信を持ったような顔をして言い切れるのか、クルツには理解出来ない。
「だって、理想郷の話が残ってるってことは、そこを見て帰ってきた奴が居たってことでしょ?
「本当に誰もが幸せになれる良い土地なら、行ったきり帰ってこないと思うけどな」
理論的なのかそうでないのか判然としないジャッキーの言葉だったが、クルツと給仕たちは何故か妙に納得させられて頷いていた。

ファンタジースキーさんに100のお題94、<理想郷>。
熱帯の都メイルストロムの直下に眠る地下遺跡、迷宮。その迷宮の地下第三階層を、六人の男女が全力で走っていた。彼らの後ろからは、数え切れないほど沢山の小さな黒い影が追走してきている。
「てめぇらは昇降機を呼んで逃げろ! あいつらは俺が引きつける!」
先頭に立って走っていたフェリシンの探検屋バッシュは、不意に振り返って後ろへと駆け出した。
「なに言ってんだ?! あんな大きな群れをどうやって……」
並んで走っていたクルツが引き止める間もなく、バッシュは無数の小鬼どもの群れへと突っ込んでいった。目の前の物事にしか興味を集中出来ない愚かなものどもは、それに気を取られてクルツたちのことなど忘れてしまっているようだ。
クルツとその仲間たちは、バッシュの身を案じながらも撤退するしかなかった。彼らの技量では、数十匹もの小鬼を相手にしてバッシュを助けることなど不可能である。それが出来れば、元より逃走などしていない。
そして数十分後。クルツたちは深い迷宮の底から地上へと生還し、息つく間も無く探検屋たちが集う旅籠、砂風亭へと向かった。バッシュを救うための援軍を募るためである。
しかし砂風亭の入口を潜った彼らを待っていたのは、他の探検屋たちの冷たい反応だった。行方不明になったというだけならば、助けてくれる者もあったかもしれない。
だが無数の小鬼どもに追われているとなれば、助けに向かう方も命がけだ。バッシュに特別な恩も友情も感じない探検屋たちが難色を示すのも無理はない。
クルツたちは絶望を感じて座り込んだ。あの状況では、流石のバッシュと言えども生還は不可能に思える。彼らはバッシュの死という現実を考えずにはいられなかった。
「よぉ。先に呑んでたのか?」
俯いていたクルツたちが聞き覚えのある能天気な声に顔を上げると、そこには怪我ひとつしていないバッシュの姿があった。落ち込んでいた気持ちから一転、クルツたちは笑顔になりながら立ち上がって彼を迎える。
「俺があんな屑どもに殺されるわけねぇだろ。
「ほら、ついでにお宝も掠め取ってきてやったぜ」
バッシュは懐から取り出した宝石や装飾品をテーブルの上にばらまいた。
品質は大したことが無さそうだが、バッシュが生きていた上に予期せぬ財宝まで手に入れることが出来たクルツたちは、喜びに声も出ない。
その後、バッシュとクルツたちは深夜まで酒を酌み交わした。強かに酔って帰って行くクルツたちを見送ったバッシュは、砂風亭正面のデッキに座って葉巻を燻らせている。
「あんたも年喰って、だいぶ優しくなったじゃないか」
暗い運河の先を見るとも無く見ていたバッシュが振り返ると、砂風亭のバーメイド、サラが立っていた。彼女はバッシュの横に酒瓶を置き、自らもその場に胡座をかく。
「そうか。そう思ってくれるんなら、まぁそれでもいいがな」
頬を緩ませながらそう言ったバッシュは、ポケットをごそごそと探って何かを取り出した。
彼が掴み出したのは、目玉ほどもある大粒の紅玉だ。それを見たサラは両目を大きく開いてバッシュの顔と見比べた後、彼がクルツたちを騙したのだと理解した。
「こんなお宝、あいつらにはまだ勿体ねぇだろ?
「言うまでもねぇと思うが、告げ口すんなよ。これやるから」
バッシュの腹黒さと、まんまと騙されたクルツたちの純情さに呆れながらも、サラは差し出された耳飾りを付けて微笑んだ。

ファンタジースキーさんに100のお題81、<おとり>。
「さっさと報告に行きなよ、あんた。敵の大将を殺ったんだ。きっと出世できるよ」
「てめぇこそ、たんまり報奨金が出んだろ? その首ぶら下げて行っちまえよ」
戦場のど真ん中で出会い、共に敵の総大将を討ち獲った傭兵と兵士は、物音ひとつ聞こえない焼け野原で座り込んでいた。両軍の決戦の場となった小さな街は、墓標のように突き立って燻る建物の残骸のみを残して消え去っている。
「あんた、何のために戦ったんだい?」
「……無理に言えば母ちゃんと、嫁に行った妹のためだな。二人とも、死んじまったが」
兵士は俯いて、今まで自らを守ってくれた兜を蹴り飛ばした。
「あたしは傭兵だからさ、もちろん金のためだ。
「でも、なんか分からなくなってきたよ。仲間はみんな死んじまって、金を貰ったって還ってくるわけじゃない」
「結局、理由なんて始めから無かったんだよ。自分を納得させるための口実さ。そこに戦いがあって、自分には武器を持つ腕がくっついてたってだけの話だろ」
「ねぇ、南に行こうよ。こんなくそ寒い所なんて、もううんざり」
今まで傭兵の肩にしゃがんで黙っていた羽妖精の女が立ち上がり、立ち込める煙の向こう側に見える空を見上げた。それに釣られて、傭兵と兵士も顔を上げる。
やがて兵士はゆっくりと立ち上がり、出世街道への通行手形である敵の総大将の首を投げ出した。そして傭兵もまた立ち上がり、地面に落ちて恨めし気に自分を見ている生首を一瞥した後で、地平線へと向き直る。
「ここよりは、多少ましかもしれないね」
数年にも渡る熾烈な戦いを生き延びた三人の男女は、自分の国や手に入れかけた栄誉の全てをその場に残し、遠い南の国へと旅立った。

ファンタジースキーさんに100のお題97、<決戦>。